語り人 二宮隆の「風の朗読」

朗読通して日本語のすばらしさを伝えていきたい!海外から見た日本についての気付きもシェア出来たらと思います。

【伝わる朗読とは】08:声の出し方

声には周波数の違う音である倍音が含まれている。
その声に表情をつけるには、この倍音をコントロールするとよいらしい。
感情に訴えるには、非整数次倍音
事実に訴えるには、整数次倍音

と言う感じは分かったけど・・実際に声に出すにはどうするのか?

イメージとしては、特徴的な芸能人の声を真似てみるということかもしれないです。
モノマネするということではなく、そういう感じで読んでみるということです。

ただ、非整数次のカサカサ音を出そうとして、喉を傷めるということもあるので注意が必要です。無理にそういう音を出そうというのではなく、そういう音を出すイメージをして声を出すということがよいと思います。

ロックミュージシャンがわざと声をつぶすなんて話を聞きます。これも、非整数次倍音を含ませて、自分の声(歌)を聞き手の心に届かせるためと言われると、なんとなく理由が分かります。でも、そのために声をつぶすことまでしなくてもいいのではと思いますが・・・。

あとは、非整数次の声を出すには、はっきりと声に出さない、不明瞭な発音をするということもありかもしれないです。

日本語の特徴として、一音の中にたいてい母音がついている。普通に発生すると母音は、整数次倍音が強いはっきりくっきり感が強い音になります。その母音をちょっと暗めに発音する、あいまいに発音する、口を大きく開けずに発音すると非整数次倍音が多めに現れると思われます。

【伝わる朗読とは】07:伝わる声

声には、基音と倍音があり、倍音の成分が声の特徴を示すものであることが分かりました。では、伝わる声とはどういうものなのでしょうか?ここにも倍音が関わってくるのではないかと思います。

一般的に整数次倍音は、権威的な声、宗教的な声といった感じで、カリスマ性、普遍性を感じさせ、非整数次倍音は、親しみやすさを感じさせると言われています。

前に出した芸能人をあげてみましょう。
芸人などで毒舌的な発言が多いにも関わらず、好感度がよかったりする人がいます。
これは、その声によるところが大きいと前出の本(「あの人の声は、なぜ伝わるのか」)には書いてあります。
もし同じような毒舌をはっきりした口調で言われると、その言葉が直接聞き手の心に刺さり、その相手は落ち込むかもしれないです。それが、ハスキーボイスのような非整数次倍音の多い声で言われると、その言葉の感情面できつい部分が和らげられ、むしろそれが親しさにもつながっているのではないかということです。

さて、このことを朗読に置き換えて考えてみます。
聞き手に伝わる声というのは、どういう声なのかという当初のテーマに戻ってみます。
これまでの話で出てきた整数次倍音、非整数次倍音の仕組みを当てはめてみます。
朗読には、整数次倍音がいいのか、非整数次倍音がいいのか?
それぞれの倍音は、どういう場合に適する音になるのか。

感情に訴えるときは、非整数次倍音を含む声の方が伝わりやすいと思います。
例えば、「愛してるよ」と言うとき、
はっきりくっきりした声で「愛してるよ」では、雰囲気が崩れてしまいます。
これを、耳元で囁くように「愛してるよ」と言った方が気持ちが伝わるのではないでしょうか?こういうささやく声は、カサカサっとしている、非整数次倍音の多い声になります。
ということは、人間の本能的なところ、感情を司るところにアクセスしやすい声なのでしょう。
これは、自然界に発生している音と言うのが、非整数次倍音が多く含まれていることにも起因しているようです。
小川のせせらぎを聞いて、癒される。
嵐の風の音を聞いて、不安になる。
こういうことからも、感情の部分につながりやすい音ということができます。。

また、叫び声も非整数次倍音が多く含まれます。
その叫び声で周囲の聞き手の本能のところに不快感を与えることで、「なんだなんだ」と振り向かせることができるのです。これが、響きを利かせた声で叫んでも、気付いてもらえることはないでしょう。「たーすーけーてー」なんて言っても誰も危険だなどとは思いません。
人間はそういう声を本能的に自然と出しているのです。赤ちゃんの泣き声でも同じことが言えるのでしょう。

そうなると朗読する時の声とは、

感情に訴える部分は、非整数次倍音の多い声
単なる事実を伝えるところは、整数次倍音の多い声

の方が伝わりやすいという感じでしょうか?
もう少し単純にしてしまえば、地の文は、整数次ではっきりくっきり読み、台詞は、非整数次で感情的に読むということかもしれません。
実際は、この法則を頭に入れて、出したり引いたりしながら、語り全体のメリハリを出していくということになるのだと思います。
地の文の中にも、感情や感覚的な表現のところは、非整数次の声でしょうし、台詞でも、威圧的なところは整数次の声となるのかもしれないです。

単に事実だけを伝えたいのなら、はっきりとわかるように伝えることが重要なので、整数次の倍音を多く含んでいるとよいと考えられます。気持ちを入れて語るような場合は、非整数次の部分が多くなるということでしょう。

日本語のオペラを聞いたことがありますか?私はそのやり取りに違和感を感じることがあります。これは、やり取りが歌を基本に行っていて、台詞の部分も、声の響きに重きを置いている。つまりは、整数次倍音の成分が多いからなのだと思います。それが、なんだか日本語として違和感を感じるのだと思います。

では、整数次倍音と非整数次倍音の声を出すっていうのは、どうするんだろう?
それは、長くなったので、次回。

【伝わる朗読とは】06:整数次倍音と非整数次倍音

さて、前回は、音の中には、基音以外の音に倍音というものがある。
そして、その倍音の中に整数次倍音非整数次倍音の2つがあるということを話しました。

この倍音ということについては、私は特に気にしていませんでした。
ピアノとクラリネットの音色は違うけど、どうして違うかについて、疑問を持ったことはなかったのです。そして、人の声の違いがある理由は倍音の成分の違いであったとは、初めて知りました。(一応、理系なんですけどね。)
私は、ここに「伝わる朗読」につながる何かがあると感じたのでした。

今回は、これらの倍音の特徴について見てみましょう。

整数次倍音とは、基音の周波数の整数倍の音です。
この倍音は、基音の音を強調して、共鳴するような音であるということが直感的にわかるのではないでしょうか?
つまり、整数次倍音が多く含まれる声は、はっきりくっきりとした音になります。
また、高い倍音が多ければ、きらきらした音、低い倍音が多ければ、太くどっしりした音になります。
このような整数次倍音の多い声を出す芸能人は、黒柳徹子さんやタモリさんが代表的です。
彼らの声をイメージしてみると、「なるほど・・」と思うはずです。

逆に非整数次倍音というのは、基音を邪魔するような音、雑音みたいな音になります。
声としては、ハスキーボイスというのが当てはまると思います。

非整数次倍音の多く含まれる声には、明石家さんまビートたけしなどの芸能人が当てはまります。

イメージすると、声に特徴のあることが分かると思います。

ですから、声の特徴を形作るのは、この倍音の成分がどのように含まれているかに関係してくるというわけです。

まとめてみると

声には、いろいろな高さ(周波数)の音の成分含まれている。
その中で一番多く含まれる音が「基音」となって、声の高さが決まる。
その他の高さの音は、倍音という。
倍音には、2種類あり、基音の周波数の整数次倍の音を整数次倍音
整数倍ではない音を非整数次倍音と呼んでいる。

整数次倍音が多い声は、はっきりくっきりした声になる。
非整数倍音の多い声は、カサカサ、ガサガサという感じのハスキーボイスな声になる。

そして、繰り返しになるのですが、声の特徴は倍音の成分に関係があるということのようです。ここが朗読の伝わり方に関係してくると思うのです。

ベトナムの自動販売機

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ベトナムには硬貨がありません。
では、自動販売機はあるか?というと一応あります。
飲み物やスナックの自動販売機が日本ほどではないけれどあります。
支払いは、紙幣です。
ときどき、硬貨挿入口のある自動販売機も見ることがあります。
この写真の右下に硬貨の投入口がありますね。
おそらくこれは別の国の仕様のものを持ってきているのでしょう。

おつりの出るものもあるようですが、通常はおつりが出てきません。
購入に必要な金額を入れる方式です。
それも受け付ける紙幣も5000ドン、10000ドンに限定されていたりします。
飲み物の自販機も1商品の価格が高くとも20000ドン(100円)くらいです。
商品の出る仕組みも日本のような高性能のものではなく、商品がらせん状の線に挟まっていて、対象の番号を押すとそのらせんの線が回って商品が落とされる感じです。
すみません。うまく説明できないです。

まだ、日本のように自動販売機が普及しているとは言えません。機械にやらせて人間の仕事を減らすようなことはしないのが、社会主義的考え方のような気がします。

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ちなみにこちらは日本でいう「ガチャ」ですね!1回10万ドン(500円)です。
選んだ箱が下に落ちてきて、「PUSH」のところから取り出す仕組みですね。
どんなものがでてくるかやってみたいですが、まだ試したことはありません。

おつりの話

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お気に入りのパン屋があります。

店の名は「ルフィーベーカリー」といいます。OnePieceから来ています。二号店は、「ゾロベーカリー」と命名されました。(写真はゾロベーカリーです)
店長は、日本で技能実習生として勉強して、ベトナムで日本式のパンを広めるために店を出したそうです。
食パン 1斤、40000ドン(200円)
日本で食べる高級食パンと同じだなと思います。
ベトナム人にすると、高いパンになります。

さて、ここでの買い物の時、4万ドンの食パンを求めて、10万ドン札を出しました。
当然、6万ドンのおつりを待っていました。
すると、店員は、「もう1万ドンくれ」と言います。
10万ドンで十分でしょと思ったのですが、なぜだかわからず、もう1万ドン差し出すと・・
おつりとして、5万ドンと2万ドン、つまり7万ドンのおつりを渡してくれました。
つまり、6万ドンのおつりが作れないので、11万ドンもらって、7万ドンのおつりというわけです。言われてみれば、問題ないお金のやりとりなんですが、ちょっと変な感覚になりました。
これは、2という単位の通貨を持っていない日本人には、わからない感覚ですね。

また、お店には、十分なおつりを用意していないということが多いです。
だから、現状のお札でおつりが出来るよう、追加でお金を出せないかお願いされることが多いです。
例えば、52000ドンの買い物に、100000ドン札を出したら、もう2000ドンないかと言われます。(102000ドンもらって、50000ドン札1枚でおつりとしたい)
私から見ると、おつりの札が足りないのもさることながら、どうもおつりとして多くの紙幣を渡すのが嫌なようです。
つまり、1枚の高額紙幣のおつりに5枚も6枚もお札を出すのは損をしたような感覚なのかな。
こういう商習慣も日本と違うことが初めは慣れずにとまどうことが多いのです。

 

ベトナムのお金の話:お札

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10万ドン、1万ドン、1000ドン札

ベトナムの通貨は「ドン(dong)」

日本円とのレートは、1円=200ドンくらいです。

通貨の桁が大きいので、最初は少し戸惑います。

100円が2万ドン、1000円が20万ドンという感じです。

 

さて、ベトナムにはコイン(硬貨)はありません。すべて紙幣のみ。

財布にジャラジャラということはありません。

どういう種類のお札があるのか。

公式には

100,200,500(百ドン)

1000,2000,5000(千ドン)

10000,20000,50000(万ドン)

100000,200000,500000(十万ドン)

のお札があります。

1万ドン以上のお札は、プラスチック素材みたいなのが入っていて、紙っぽくないです。すべてのお札の表は、ホーチミンさんの肖像が入っていて、同じデザイン。

 

とはいうものの、100ドン札は見たことがありません。

200ドン札は、めったに見ません。私は、2枚持っています。

ベトナム人も、200ドン札はラッキー札と言っていることがあります。

500ドン札は、時々見るけれど、ほとんど使われない。

使おうとすると、拒否されることがあります。

ですので、1000ドン札が通常使われる最小の単位と考えてよいでしょう。

 

でも、モノの価格として、10100ドンというケースがあります。

生鮮食品は、重さを量って値段を決めるので、1ドン単位の金額になります。

では、お店で1000ドン未満のお金をどのように払うのか?

 

これは、百の位で四捨五入されます。

だから、

10100ドンなら、10000ドン

10600ドンなら、11000ドン

を請求されます。

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 上のレシートだと、合計で、172408ドンで、8ドンはサービスとして、172400ドンが総計となっています。

そして、503000ドン払って、おつりが、330600ドンとなりました。

このときのおつりが、331000ドンだったのか、330000ドンだったのか、覚えていません。そもそも、502000ドン払えば、330000ドンのおつりだったかもしれないです。

 

この感覚は、慣れるのに時間がかかり、戸惑います。

これがスーパーマーケットのレジで行われます。

こんなお金のやりとりをしていると、レジを締めたときに、売り上げと受取金額に差が出てしまうはずです。この点はどう処理しているのだろうか?

最初の内、そのことを考えてりしていました。

日本だったら、1円だって違いは許されないはずなんだけど。

おそらく、ベトナムでは、大体合っていたら、OKなんだろうなと思っています。

(本当のところはよくわからないけれど。。)

こういうアバウトさがベトナムであると言えます。

 

 

暑さと喧騒の街

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3年前の2018年7月、ハノイにやってきました。
ノイバイ国際空港を出た時、気温35度以上。熱い空気が私の体を包みます。
そして、うるさい。
たくさんの人が行き交っている。車のクラクション音。異国の言葉。
暑さと雑音に圧倒されながら、これから生活するアパートに向かう車に乗り込んだのを覚えています。

アパートまでの車の中。外の様子を眺める。
たくさんのバイク、車。高層ビルに低層の家々。新しい街と古い街の混在。

様々の店の様々のベトナム語のカンバンが目に入ってくる。
ベトナム語は、文字自体、アルファベットで成り立っているものの、読めそうであるが意味は分からない。

目にするもの、耳にするもの、全てが乱雑に、私の中に異なものとして入ってくる。

日本のような無機質な、整然とした、静かな感じはない。
ごちゃごちゃしたうるさい街。常に動いている。
何もかもが日本と違う。これがベトナムの第一印象。

でも、日本より明らかに元気な街。若い国。活気がある。
とにかく圧倒される・・・

そんなことを感じて、もう3年が経ちました。不安ばかりだったあのときの感覚は、もう遠い記憶の先にあります。
あれから、いろいろ驚くようなことがたくさんありました。
まだ私もベトナムに慣れたとは言えないけれど、これまで何があったかをひも解きながら、私が感じたベトナムのことをこのブログで話していきたいと思います。

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