語り人 二宮隆の「風の朗読」

朗読通して日本語のすばらしさを伝えていきたい!海外から見た日本についての気付きもシェア出来たらと思います。

【伝わる朗読とは】07:伝わる声

声には、基音と倍音があり、倍音の成分が声の特徴を示すものであることが分かりました。では、伝わる声とはどういうものなのでしょうか?ここにも倍音が関わってくるのではないかと思います。

一般的に整数次倍音は、権威的な声、宗教的な声といった感じで、カリスマ性、普遍性を感じさせ、非整数次倍音は、親しみやすさを感じさせると言われています。

前に出した芸能人をあげてみましょう。
芸人などで毒舌的な発言が多いにも関わらず、好感度がよかったりする人がいます。
これは、その声によるところが大きいと前出の本(「あの人の声は、なぜ伝わるのか」)には書いてあります。
もし同じような毒舌をはっきりした口調で言われると、その言葉が直接聞き手の心に刺さり、その相手は落ち込むかもしれないです。それが、ハスキーボイスのような非整数次倍音の多い声で言われると、その言葉の感情面できつい部分が和らげられ、むしろそれが親しさにもつながっているのではないかということです。

さて、このことを朗読に置き換えて考えてみます。
聞き手に伝わる声というのは、どういう声なのかという当初のテーマに戻ってみます。
これまでの話で出てきた整数次倍音、非整数次倍音の仕組みを当てはめてみます。
朗読には、整数次倍音がいいのか、非整数次倍音がいいのか?
それぞれの倍音は、どういう場合に適する音になるのか。

感情に訴えるときは、非整数次倍音を含む声の方が伝わりやすいと思います。
例えば、「愛してるよ」と言うとき、
はっきりくっきりした声で「愛してるよ」では、雰囲気が崩れてしまいます。
これを、耳元で囁くように「愛してるよ」と言った方が気持ちが伝わるのではないでしょうか?こういうささやく声は、カサカサっとしている、非整数次倍音の多い声になります。
ということは、人間の本能的なところ、感情を司るところにアクセスしやすい声なのでしょう。
これは、自然界に発生している音と言うのが、非整数次倍音が多く含まれていることにも起因しているようです。
小川のせせらぎを聞いて、癒される。
嵐の風の音を聞いて、不安になる。
こういうことからも、感情の部分につながりやすい音ということができます。。

また、叫び声も非整数次倍音が多く含まれます。
その叫び声で周囲の聞き手の本能のところに不快感を与えることで、「なんだなんだ」と振り向かせることができるのです。これが、響きを利かせた声で叫んでも、気付いてもらえることはないでしょう。「たーすーけーてー」なんて言っても誰も危険だなどとは思いません。
人間はそういう声を本能的に自然と出しているのです。赤ちゃんの泣き声でも同じことが言えるのでしょう。

そうなると朗読する時の声とは、

感情に訴える部分は、非整数次倍音の多い声
単なる事実を伝えるところは、整数次倍音の多い声

の方が伝わりやすいという感じでしょうか?
もう少し単純にしてしまえば、地の文は、整数次ではっきりくっきり読み、台詞は、非整数次で感情的に読むということかもしれません。
実際は、この法則を頭に入れて、出したり引いたりしながら、語り全体のメリハリを出していくということになるのだと思います。
地の文の中にも、感情や感覚的な表現のところは、非整数次の声でしょうし、台詞でも、威圧的なところは整数次の声となるのかもしれないです。

単に事実だけを伝えたいのなら、はっきりとわかるように伝えることが重要なので、整数次の倍音を多く含んでいるとよいと考えられます。気持ちを入れて語るような場合は、非整数次の部分が多くなるということでしょう。

日本語のオペラを聞いたことがありますか?私はそのやり取りに違和感を感じることがあります。これは、やり取りが歌を基本に行っていて、台詞の部分も、声の響きに重きを置いている。つまりは、整数次倍音の成分が多いからなのだと思います。それが、なんだか日本語として違和感を感じるのだと思います。

では、整数次倍音と非整数次倍音の声を出すっていうのは、どうするんだろう?
それは、長くなったので、次回。